物語世界の誘惑 不朽の児童文学
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少年探偵 怪人二十面相
江戸川乱歩
(光文社/1947年)
小学3年生のとき、隣の家のお姉さんに勉強を教わることになった。その家の本棚には『少年探偵団』シリーズが全巻揃っていた。借りてきて読み始めたら、ページをめくる手が止まらない。完全に没頭。物語の世界に浸りきった。ぼくにとって最初に読書のおもしろさを教えてくれたのが江戸川乱歩だった。
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少年講談全集 曽呂利新左衛門
(講談社/1957年)
乱歩と同じく、隣の家で出会ったのが『少年講談全集』。日本の有名な説話や物語は、だいたいこの全集で知った。とくに好きだったのが一休和尚や曽呂利新左衛門のとんち話。『曽呂利新左衛門』は古本屋で買ったのだが、乱丁で途中から別の話に変わっていた(苦笑)。あの話の続きはどうなっていたんだろう?
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赤毛のアン
L・M・モンゴメリ
(新潮文庫/1954年)
学校が早く終わる試験中は読書のチャンス。中3の中間考査のときは、『赤毛のアン』を一日一冊ずつ読んだ。アンのように生きたいと思うと同時に、人間心理の襞に分け入る文章に驚いた。どうやったらこんなふうに書けるんだろう? この力を身につけたらすごいことができるんじゃないかと思った覚えがある。
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ぼくと<ジョージ>
E・L・カニグズバーグ
(岩波少年文庫/1989年)
不思議な題名に惹かれ、この本を手に取ったのは29歳のとき。思春期の少年が、自分の中にいる「もう一人の自分」と対話を繰り広げる。のめり込むように読んだ。ぼくの中にも、もう一人の自分がいたからだ。現代人は大人になっても「終わらない思春期」を抱えて生きている。ぼくもそんな大人の一人だ。
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ふたりのロッテ
エーリッヒ・ケストナー
(岩波少年文庫/2006年)
大学時代、東京新聞のコラムに、ケストナーの全集を読んで初心に戻ったという作家の話が載っていた。気になって読んでみたら驚いた。子ども時代に好きだった映画『罠にかかったパパとママ』の原作が、ケストナーの『ふたりのロッテ』だったことに気づいたのだ。偶然と必然。すべてはつながっている。
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ゲド戦記
ル=グウィン
(岩波書店/2006年)
『ゲド戦記』に影響を受けた作家は多い。宮崎駿もその一人だ。長年望んだ映画化が実現したとき、奇しくもアメリカでは『スター・ウォーズ』新3部作が始まっていた。“ダークサイド”の元は『ゲド』の“影”。じつはその大元にはユング心理学がある。ユングを紐解くように書かれた物語が『ゲド』なのだ。
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悪童日記
アゴタ・クリストフ
(早川epi文庫/2001年)
戦争下でしたたかに生きる双子の少年の物語。彼らがノートに書いた作文という形式で児童文学として読めるが、じつは大人の文学だ。内容も衝撃的だが、さらに驚いたのは作者の出自。ハンガリー出身ながらハンガリー動乱を機にスイスへ移住。難民作家として外国語のフランス語で小説を書いたのである。
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いやいやえん
中川李枝子
(福音館/1962年)
『トトロ』のテーマ曲の作詞を誰にお願いするか? 宮さんとぼくが同時にあげたのが中川李枝子さんの名前。お会いすると、まさに子どもの心を持った方だった。「さんぽ」が今も愛唱されるのは彼女のおかげだ。『いやいやえん』の中の「くじらとり」のエピソードは、のちに宮さんが短編映画にしている。
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あやとりの記
石牟礼道子
(福音館文庫/2009年)
小学校のときに見た水俣病のドキュメンタリー映像が、頭にこびりついて離れない。石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』を手に取ったのは、その記憶のせいだったろうか。しかし、何度挑戦しても苦しくて読み通せない。代わりに読んで救われたのが、彼女が昔の故郷を描いた『あやとりの記』だった。
戯作への耽溺 青春時代に読んだ小説
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宮本武蔵
吉川英治
(講談社/1989年)
「信ずるは己のみ」「我、事において後悔せず」「人間、本来無一物」。剣の道を極めんとする武蔵の生き方に、中学時代のぼくは憧れた。しかし、大学生になって考え直した。武蔵の信条を裏返せば「何をやってもいい」ということになる。まさに高度経済成長の精神だ。危険な思想だと思ったのである。
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大菩薩峠
中里介山
(富士見書房/1981年)
最初は片岡千恵蔵のチャンバラ映画として観た。子ども心にただならぬものは感じたが、本当に衝撃を受けたのは大学時代に原作を読んだとき。机龍之助が抱える虚無。作者が語る“大乗小説"の意味。何度も読み返し、安岡章太郎や堀田善衞の評論も読んだ。ぼくの中で『大菩薩峠』の探究はまだ続いている。
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娘と私
獅子文六
(ちくま文庫/2014年)
妻を亡くした作家が、一人娘を育てあげ、嫁に送り出すまでを描いた自伝的作品。ぼくが読んだのは高校生の頃だが、なぜか父親の気分で読んでいた(笑)。獅子文六では『大番』も好きだったが、株屋の話だ。思春期のぼくはなぜそういう小説に夢中だったのか? 早く大人になりたかったのかもしれない。
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陽のあたる坂道
石坂洋次郎
(講談社/1957年)
昭和30年代、石原裕次郎が石坂洋次郎原作の映画に立て続けに出た。『陽のあたる坂道』と『あいつと私』を見て、10代のぼくは東京に憧れた。恥ずかしいほど、ぼくは裕次郎と石坂洋次郎の影響を受けている。明日は今日よりもよくなる。そう思わせてくれたのが石坂洋次郎。昭和の大流行作家だった。
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青空娘
源氏鶏太
(ちくま文庫/2016年)
源氏鶏太も昭和の流行作家。若尾文子主演で映画化された『青空娘』が有名だが、ぼくが好きなのは安田道代主演でリメイクされた『私は負けない』のほう。源氏鶏太は青春物から『三等重役』のようなサラリーマン物まで中高時代に読みまくった。なんであんなにサラリーマン物が好きだったんだろう?
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姿三四郎
富田常雄
(新潮文庫/1973年)
子ども時代、映画『姿三四郎』を観て夢中になり、本屋で原作本を買った。ところが、いくら読み進めても柔道の話にならず、「ストレイシープ」なんて難しいことを言っている。そう、ぼくは夏目漱石の『三四郎』を買ってしまったのだ。同じ勘違いをした人がもう一人いる。何を隠そう宮崎駿である(笑)。
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燃えよ剣
司馬遼太郎
(新潮文庫/1972年)
司馬遼太郎といえば『竜馬がゆく』をあげる人が多いが、ぼくは『燃えよ剣』派だ。坂本龍馬より土方歳三という人物に惹かれた。新選組時代は「隊律を乱せば即死罪」という掟を課し、「鬼の副長」と怖れられた男。それが一転、五稜郭では将として人望を集めた。彼を変えたものとは何だったのか──。
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落葉の隣り
山本周五郎
(新潮社/1961年)
周五郎を読み始めたのは大学時代。学生運動に幻滅した頃だった。観念論よりも、下町に暮らす市井の人々の話に惹かれた。『落葉の隣り』は、職人の男二人と幼なじみの女の子の叶わなかった恋の物語だ。「落葉に雨の音を聞く、隣りは恋のむつごとや」。最後に男が酒を呑みながら唄う場面が心に残る。
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諫早菖蒲日記・落城記
野呂邦暢
(文遊社/2015年)
芥川賞の候補になってから受賞するまで8年。応援するように読み続けた作家だ。市井の人々の人生がリアルに描かれ、どの作品もすっと心に入ってきた。彼が出身地を舞台にして、勝負に出た作品が『諫早菖蒲日記』。傑作だった。しかし、その3年後、42歳で急逝。訃報を聞いたときはつらかった。
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人生劇場
尾崎士郎
(新潮文庫/1947年)
大学に入った頃に出会った大長編。主人公の瓢吉は大正時代に早稲田で学生運動を始める。大学生とは、青春とはこうあるべきということを教えてくれた本だった。何度も映画化され、ぼくの好きな内田吐夢も監督している。「学生も娼婦もヤクザもみんな同じ空気を吸っていた」。この一節は忘れない。
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アメリカひじき・火垂るの墓
野坂昭如
(新潮文庫/1972年)
大学に入った年の秋、『オール讀物』に載った『火垂るの墓』はいまも大切にとってある。句点の少ない、饒舌な文体に引き込まれ、ぼくはすっかり野坂さんのファンになってしまった。20年後、映画化の許諾を得るため、ぼくは野坂さんを自宅に訪ねた。「最後の無頼派作家」は朝から酔っ払っていた(笑)。
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夫婦善哉 決定版
織田作之助
(新潮文庫/2016年)
大正から昭和の大阪。優柔不断な問屋の若旦那が、しっかり者の芸者と駆け落ちする。次々と商売を試みては失敗。喧嘩をしながらもけなげに生きてゆく。割れ鍋に綴じ蓋。大人の男女関係を初めて知った小説だった。独特の語り口も好きだった。井原西鶴の影響を受けた戯作調。ぼくはその文体の虜になる。
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海を見ていたジョニー
五木寛之
(講談社文庫/2021年)
ぼくの大学時代、文壇では直木賞作家の“御三家”、野坂昭如、五木寛之、井上ひさしが大活躍していた。この3人を読んでいないと時代についていけないと言われたし、実際どれを読んでもおもしろかった。数ある五木寛之作品の中で、当時、最も作者の真剣度を感じたのが『海を見ていたジョニー』だった。
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手鎖心中
井上ひさし
(文春文庫/2009年)
井上さんが『手鎖心中』で直木賞を獲ったとき、ぼくはうれしかった。井上さんが脚本を書いた『ひょっこりひょうたん島』以来のファンで、小説も『ブンとフン』から愛読していたからだ。のちにご本人と知り合い、『平成狸合戦ぽんぽこ』では企画の相談に乗ってもらった。人間的にもすばらしい方だった。
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闇のなかの祝祭
吉行淳之介
(講談社文庫/1971年)
代表作『砂の上の植物群』もいい作品だが、ぼくが好きなのは『闇の中の祝祭』。妻と愛人の間で右往左往する男を描いた小説で、モデルは吉行さん本人と女優の宮城まり子。そのことを『週刊新潮』が暴いたことで大騒ぎになった。作家の情事が社会的事件として扱われる──そんな時代があったのである。
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笛吹川
深沢七郎
(講談社文芸文庫/2011年)
戦国時代、武田家が支配した甲州で生きた農民一家六代の物語。生まれては死んでいく人間の運命が淡々と描かれる。深沢七郎の作品は『笛吹川』にしても『楢山節考』にしても、「人間とは何か」を突きつけてくる。そこに惹かれ何度も読んだ。ぼくはいまでもこの作品を映画にしたいと思っている。
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火宅の人
檀一雄
(新潮文庫/1981年)
自らの不倫と家庭の問題を赤裸々に描いた私小説。当時、大きな話題になった。妻子ある男がいい女と出会い、恋をして、別れ、次の女に走る。不思議なのは、そのたびに男が悩むことだ。深作欣二が映画化したが、やはり主人公が悩む姿を描いた。恋が好きで恋に悩む。日本人とは何かを考えざるをえない。
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わが国おんな三割安
藤原審爾
(徳間文庫/1982年)
お座敷ストリップを行う「新宿芸能社」をめぐる悲喜劇。タイトルが気になって手に取ったのだが、ほどなくして森崎東監督、山田洋次脚本で映画化された。倍賞美津子のバイタリティあふれる演技が印象的だった。ちなみに原作の版元は徳間書店。気づいたのは入社後だが、ちょっとうれしい気持ちになった。
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赤頭巾ちゃん気をつけて
庄司薫
(新潮文庫/2012年)
1969年、東大紛争の年に発表された青春小説。翌年の映画版もよかった。ラストシーン、悩める薫くんは銀座の街を歩きながら、現代社会を否定するのではなく、認めたいと語る。学生運動が「自己批判」から「自己否定」にエスカレートした時代、薫くんの肯定的な言葉に、ぼくは安心感をもらった。
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官僚たちの夏
城山三郎
(新潮文庫/1980年)
日本が経済大国へと上り詰めていった高度成長期。“ミスター・通産省"と言われた官僚をモデルに、政界、財界の動きを絡めて描いた経済小説だ。世の中を陰で動かす政治家、官僚、フィクサー。ぼく自身はそういうタイプじゃない。でも、なぜか昔から本でも映画でも、“裏側”を描いたものが好きだった。
詩と言葉の魔法
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時代の射手
寺山修司
(芳賀書店/1967年)
1967年春。東京へ出てきて、下宿の近くの本屋でたまたま目に飛びこんできたのが『時代の射手』だった。一読して「世の中にはこんなすごい人がいるんだ」と驚いた。大学時代、傍らにはいつも寺山修司の本があり、そこに出てくる作家や本を次々に読んだ。誰もが“言葉の力”を信じていた時代だった。
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倚りかからず
茨木のり子
(筑摩書房/1999年)
最近、マンションの中に茶室をつくったのだが、その名前を「不倚庵」とした。じつはこれ、茨木のり子の詩「倚りかからず」からとっている。思想、宗教、学問、権威、何にも倚りかからず、自分の二本の足のみで立つ──そんな生き方にぼくも憧れる。いまでも時折、彼女の詩を口ずさむことがある。
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八木重吉詩集
八木重吉
(新文学書房/1968年)
クリスチャンとして詩と信仰の合一をめざした八木重吉。短い詩が多く、一つひとつのフレーズも簡潔。深い心情をさらりと表現する。古本屋で偶然手にした全集3巻を繰り返し読むうち、暗記してしまった詩も多い。仕事を始めてから、それが役に立った。惹句やコピーを書くときの参考になったのだ。
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純情小曲集
萩原朔太郎
(青空文庫/2015年)
青春時代はよく詩を暗唱した。萩原朔太郎の「こころ」もその一つ。「こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花 こころは二人の旅びと」。『ゲド戦記』をつくっているとき、宮崎吾朗が挿入歌の作詞で悩んでいたから、その場で諳んじてみせたことがある。それを元にしてできたのがあの歌詞だ。
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土神ときつね
宮沢賢治
(青空文庫/2015年)
きれいな女の樺の木に対して、自分をよく見せようとするスマートな狐と、狐への嫉妬に苦しむ粗野な土神。不思議な三角関係は、悲惨な結末を迎える。寓話ながら非常に人間くさく、ある意味とても宮沢賢治らしい一篇。賢治が父親と湯治に行っていたという花巻の温泉に、ぼくは最近よく通っている。
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降りつむ
宮内庁侍従職監修
(毎日新聞出版/2019年)
宮崎駿と一緒に、美智子さまにお目にかかったことがある。詩や児童文学に造詣が深く、ありがたいことにジブリにも興味を持ってくださっていた。美智子さまが皇太子妃時代から取り組んできたのが、日本の近現代詩の英訳と朗読。そこにご自身が詠んだ御歌も加え、長年の活動をまとめた労作である。
団塊世代は漫画世代
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太閤記
杉浦茂
(ペップ出版/1988年)
『赤胴鈴之助』や手塚治虫が流行っていた子ども時代。一方で、ぼくが好きだったのが杉浦茂だ。シュールな世界観と乾いた笑いは、他の漫画家とはまったく違っていた。そのせいか、まわりに読んでいる友達はいなかった。ところが、大人になって初めて杉浦茂の話ができる人と出会う。それが宮崎駿だった。
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同棲時代
上村一夫
(双葉文庫/1994年)
ぼくの学生時代、同棲は不道徳と言われた。それを一変させたのが『同棲時代』だ。ドラマや映画にもなり、「愛の時代、同棲時代」という言葉とともにブームになった。世の中からエロ・グロが消え、清く正しい青春が描かれたのが60年代。一転、70年代には性や人間の暗部を描く作品が出てきたのだ。
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忍者武芸帳
白土三平
(小学館/2009年)
白土三平の代表作といえば『カムイ伝』。でも、ぼくが最初に夢中になったのは『忍者武芸帳 影丸伝』だった。表面上は忍者や剣士が活躍するチャンバラ。けれど、根底にあるのは一向一揆や被差別民の問題。子どもながらに発禁本みたいな匂いを感じたぼくは、白土三平の漫画だけは親に隠れて読んでいた。
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ながれ者の系譜
真崎守
(青林堂/1973年)
江戸時代、昭和初期、現代と時代設定を変えながら、“ながれ者”の生き様を描いた連作。詩的な言葉と絵の組み合わせが真崎守の特徴。もとは虫プロ出身で、アニメーションと漫画を行き来しながら仕事をした。『アニメージュ』に登場してもらったこともある。ぼくが大きな影響を受けた漫画家の一人だ。
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あしたのジョー
高森朝雄/ちばてつや
(講談社/1970年)
団塊世代の青春は『あしたのジョー』と共にあった。ちばてつやさんのイラスト集を企画して、屋根裏の仕事部屋に案内されたときの感動は忘れない。宮さんには「どうせ鈴木さんたちはジョーの後ろ姿にガーンと来てたんだろう」と揶揄される。でも、そう言う宮さん自身、ちばさんのファンである(笑)。
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日本列島蝦蟇蛙
ジョージ秋山
(講談社/1973年)
『アシュラ』や『銭ゲバ』など、奇をてらった作品で世間をあっと言わせてきたジョージ秋山。彼が青春と性の悩みを大真面目に、みずみずしく描いたのが『日本列島蝦蟇蛙』だ。のちにぼくは編集者としてジョージさんと出会う。素顔の彼は、漫画の主人公同様、純なところと倫理を持った人だった。
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柔侠伝
バロン吉元
(リイド社/2019年)
小説・漫画を問わず、柔道物はいろいろ読んできたが、『柔侠伝』シリーズはぼくにとって特別な作品。ただのスポ根漫画じゃない。60年安保や三井三池炭鉱争議の話まで出てくる。ある意味、日本の近現代史を柔道を通して描いた文学作品なのである。いまもぼくの寝室の枕元には『柔侠伝』が並んでいる。
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人間必勝法
山松ゆうきち
(ヒット出版/1992年)
世間の枠に収まりきらない人々の生き様を描いた山松ゆうきち。『人間必勝法』収録の「競輪必勝法」は、東大卒・出版社勤めのエリートの転落劇だ。競輪場でアルバイトをしていた頃を思い出しながら読んだ。日本が右肩上がりだった時代。それに乗っかって生きる人々への反発が、彼にはあったのだろう。
映画青年の教科書
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映画とは何か
アンドレ・バザン
(岩波書店/2015年)
ヌーベルバーグを生みだす母体となったフランスの映画誌『カイエ・デュ・シネマ』。その創刊編集長が批評家のアンドレ・バザンだ。『禁じられた遊び』が子どもを主人公にした世界初の映画であることを証明する筆致に感銘を受けた。『映画とは何か』は、ぼくの映画の見方を規定した一冊と言っていい。
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映画理解学入門 映画のどこをどう読むか
ドナルド・リチー
(徳間書店/2006年)
手に取ったきっかけは高畑さんとの会話だった。たとえば、スピルバーグの映画はすべてを説明し、見ればおもしろいようにつくってある。一方「東京物語」は、行間を読むように考えながら見なければおもしろくない。リチーの『映画のどこをどう読むか』から、ぼくは映画のもうひとつの見方を教わった。
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小説田中絹代
新藤兼人
(読売新聞社/1983年)
女優・田中絹代と監督・溝口健二。何本もの映画をつくってきた二人が最後に結ばれたのはフランス・パリだった──。溝口の弟子だった新藤兼人が、大女優の生涯を赤裸々に、リアリズムに徹した文章で描いたノンフィクション小説。新藤兼人という人は監督、脚本家だけでなく、作家としても力があった。
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小津安二郎の芸術
佐藤忠男
(朝日選書/1978年)
小津安二郎はなぜ正面から俳優を撮ったのか? 小難しい評論が多いなかで、この本は平易な文章で小津の真実を捉えている。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」。井上ひさしさんの言葉だが、佐藤忠男さんはまさにそれを実践した希有な映画評論家だった。
我々はどこから来たのか 歴史に学ぶ
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敗北を抱きしめて
ジョン・ダワー
(岩波書店/2004年)
日本に上陸した占領軍兵士たちが見たのは、卑屈な敗者ではなく、改革への希望に満ちた民衆の姿だった──『敗北を抱きしめて』は、アメリカの歴史家ジョン・ダワーによる戦後史であり日本人論だ。なぜ日本は奇跡の復興を成し遂げたのか? この本をめぐっては押井守とずいぶん議論をした覚えがある。
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歴史主義の貧困
カール・ポパー
(日経BPクラシックス/2013年)
大学の授業で出会い、ボロボロになるまで読み込んだ一冊。過去を反省し、未来に希望を託すヘーゲル、マルクス的な歴史主義では世界は変わらない。ポパーの意見には説得力があった。一方、「人には歴史型と地理型がある」と言ったのが寺山修司。共通点を感じたぼくは、両者をテーマにレポートを書いた。
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歴史とは何か
E・H・カー
(岩波新書/1962年)
歴史とは何か? ぼくがずっと考えているテーマの一つだ。大学の卒論のタイトルは「個人に於ける歴史の役割」。その中で引用したのがE・H・カーの『歴史とは何か』だった。西洋の論理的思考の根本には、ものごとを歴史的に捉える姿勢がある。振り返れば、ぼく自身、歴史から学んできたことに気づく。
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民俗学の旅
宮本常一
(講談社学術文庫/1993年)
高畑、宮崎から「読んでないんですか?」と言われ、慌てて読んだのが宮本常一の『忘れられた日本人』。そこには、ぼくがずっと知りたかった前近代の日本が描かれていた。さらに『民俗学の旅』で明かされたフィールドワークの手法は、ぼくが週刊誌でやっていた取材方法とそっくり。二重に驚かされた。
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逝きし世の面影
渡辺京二
(平凡社ライブラリー/2005年)
幕末、西洋人の目に日本はどう映ったのか? 『逝きし世の面影』には、ぼくが知りたかった前近代の日本人がまざまざと描き出されていた。他にも『黒船前夜』『北一輝』など、渡辺さんの本はどれも深くておもしろい。渡辺さんには石牟礼道子を支えた編集者としての顔もある。人格者なのはそれゆえか。
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日本文化における時間と空間
加藤周一
(岩波書店/2007年)
物事には始まりがあって終わりがある。ぼくらは何気なくそう考えているけれど、じつは民族や文化によって時間と空間のとらえ方は違う。そのことを加藤さんはわかりやすく説明してくれた。宮崎駿の特殊な時間と空間の描き方を理解できるようになったのは、この本のおかげだ。何度読み返しても飽きない。
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夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
赤松啓介
(ちくま学芸文庫/2004年)
近代化以前の日本。村では夜這いが行われていた。といっても現代人のイメージとは違う。男は童貞、女は人妻。ある種の性教育だったのだ。生まれる子どもの半分は父親が違ったが、分け隔てなく育てられた。『夜這いの民俗学』を読み、ぼくは驚いた。と同時に、その時代の日本に出会いたかったとも思う。
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異形の王権
網野善彦
(平凡社ライブラリー/1993年)
吹き荒れる「バサラ」の風。後醍醐天皇の登場と南北朝の動乱を機に起こった日本社会の大きな変化を描いたのが、網野善彦の『異形の王権』だ。今につながる日本人の生活や価値観は、じつはこの時代に始まっている。その中心にいたのが後醍醐天皇。そういう視点でこの時代の映画をつくってみたかった。
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ハーメルンの笛吹き男
阿部謹也
(ちくま文庫/1988年)
グリム童話にもなっている「ハーメルンの笛吹き男」とは何者だったのか? 歴史学者の阿部謹也はヨーロッパ中世の社会、風俗をつぶさに調べ、ミステリーを解き明かしていく。まるで中世にタイムスリップしているかのような気分で読んだ。網野善彦と阿部謹也をきっかけに、ぼくは中世史の虜になった。
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中世の光と影
堀米庸三
(講談社学術文庫/1978年)
中世はかつて「暗黒の時代」と言われた。でも、じつは古典文化、ゲルマン、キリスト教が対立しながら、「ヨーロッパ」をつくっていったおもしろい時代。それを教えてくれたのが堀米庸三だった。学者ながら名文家でもある。奇遇にも『紅の豚』の制作時、JALに勤める息子さんと知り合うことになった。
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気候の語る日本の歴史
山本武夫
(そしえて文庫/1976年)
歴史上、寒冷で農作物が不作だった時期には動乱が起きている。たとえば、平安末期から源平合戦の時代がそうだ。逆に温暖期は社会も安定する。それを地球規模の気温変化や、日本の気候をめぐる史料から明らかにしたのが『気候の語る日本の歴史』だ。仕事が手につかなくなるぐらい刺激的な本だった。
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歴史の見方考え方
板倉聖宣
(仮説社/1986年)
江戸時代の農民は本当に粟やひえばかり食べていたのか? なぜ明治維新後、急に人口が増えたのか? 理系の人が歴史を語るとこうなるのか! と目から鱗だったのが、板倉聖宣の『歴史の見方考え方』。歴史書には書かれていない真実を科学的に解き明かしていく。推理小説的なおもしろさもある本だ。
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昭和史
半藤一利
(平凡社ライブラリー/2009年)
学生時代、『日本のいちばん長い日』を手にして以来、半藤さんの本を読み続けてきた。ぼくらは半藤さんを通じて日本と戦争の問題、昭和史を考えてきた世代だ。のちに半藤さんと宮崎駿が対談し、『腰ぬけ愛国談義』という本を出した。それをきっかけに晩年の半藤さんと交流を持てたのは幸せだった。
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤陽子
(朝日出版社/2009年)
戦争について考えるとき、ぼくはずっと半藤一利さんの本を頼りにしてきた。そこに加わったのが『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』だった。戦争を語らせたら、いまや加藤陽子さんが第一人者。信頼できる書き手だと思う。だから、彼女が日本学術会議の会員から外されたときは本当に腹が立った。
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戦後日本スタディーズ
岩崎稔/上野千鶴子/北田暁大/小森陽一/成田龍一
(紀伊國屋書店/2009年)
学生運動の時代、京大へ行った友達から、すごい女性闘士がいると聞いた。それが上野千鶴子だと気づいたのは、ずいぶん後になってから。彼女が『戦後日本スタディーズ』に書いた「高度成長期と生活革命」は何度も読んだ。彼女のおかげで、ぼくは自分と自分が置かれた時代を理解できるようになった。
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単一民族神話の起源
小熊英二
(新曜社/1995年)
日本は本当に単一民族なのか? 感情論に流れがちなテーマだが、小熊英二は具体的な史料を示し、戦前の政府が「我が国は多民族国家である」と言っていたことを突きとめる。『単一民族神話の起源』と『<日本人>の境界』。隠された歴史の一面を鮮やかに切り取って見せる彼の仕事には目を見開かされた。
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中国化する日本
與那覇潤
(文春文庫/2014年)
タイトルが気になって手に取ったのだが、読んでみて愕然。宋を手本にグローバル化(中国化)をめざした革新勢力が平家。荘園制を維持しようとした守旧勢力が源氏。昔から『平家物語』は好きだったが、その視点は新鮮だった。與那覇潤さんの本では、小津安二郎について論じた『帝国の残影』も傑作だ。
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神を信ぜず BC級戦犯の墓碑銘
岩川隆
(中公文庫/1978年)
ノンフィクションの世界には二種類の書き手がいる。地道に取材し、一つひとつ事実を積み上げる人と、最初に結論を決め打ちし、必要な材料を集める人。『神を信ぜず BC級戦犯の墓碑銘』を書いた岩川隆さんは前者のタイプだ。著書に感銘を受け、実際にお会いしてみたら、ますますファンになった。
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読書と日本人
津野海太郎
(岩波新書/2016年)
ぼくらの世代は本を読んだ。本を読めば立派になれるとも言われた。でも、ベストセラーが次々と生まれ、みんながこぞって本を読んだのは20世紀だけ。後にも先にもそんな時代はない──というのが津野さんの見方だ。今後も本はなくならないだろうが、どういう形で出版されるのか。そこに興味がある。
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昭和史のおんな
澤地久枝
(文藝春秋/1980年)
澤地久枝さんにはアサ芸の記者時代にお世話になった。女性関係の記事を書くとき、度々コメントをもらったのだ。一度だけコメントのニュアンスが違うと怒られたことがある。それ以来、ぼくは取材相手の目の前で原稿を確認してもらうようになった。ジャーナリズムの何たるかを教えてくれた一人である。
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家族システムの起源
エマニュエル・トッド
(藤原書店/2016年)
いまやメディアで引っ張りだこの論客、エマニュエル・トッド。彼が専門の「家族」についてまとめた大著が『家族システムの起源』だ。人類の家族形態はどんな変遷を辿ってきたのか。トッドは常識を覆し、核家族が起源だと証明する。所変われば家族の形も変わる。意外な発見の連続に興奮しながら読んだ。
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銃・病原菌・鉄
ジャレド・ダイアモンド
(草思社文庫/2012年)
アメリカの先住民はなぜヨーロッパ人に征服されたのか? どうして文明の発達には地域差が生じたのか? 丁寧に事実を積み重ねて解明したのが、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』。あまりにもおもしろく、彼の本は片っ端から読んだ。ウイルスに翻弄されているいま、あらためて読み返したい。
我々は何者か 現代を読み解くために
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幻影の時代 マスコミが製造する事実
D・J・ブーアスティン
(東京創元社/1964年)
成り行きで専攻した社会学だが、勉強してみるとおもしろかった。とくに影響を受けた一冊が『幻影の時代』だ。1960年のアメリカ大統領選。若々しいケネディと、ギャング映画の悪役みたいなニクソン。明暗を分けたのは討論の内容よりテレビ映りだった。本質よりもイメージの時代が始まったのだ。
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自由からの逃走
エーリッヒ・フロム
(東京創元社/1951年)
大学時代、ぼくらは“自由”を求めていた。一方、人間は与えられた自由から逃げてしまうこともある。そんな皮肉な現実を教えてくれたのが『自由からの逃走』だった。フロムがこの本を発表したのは1941年。ドイツ人の多くがナチズムに身を委ねた心理を解き明かした。いま、ぼくらは自由だろうか?
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孤独な群衆
デイヴィッド・リースマン
(みすず書房/2013年)
『幻影の時代』『自由からの逃走』『孤独な群衆』。3冊に共通するのは20世紀の大衆社会の表と裏を描いていることだ。人の心へ忍び込み、操作する者がビジネスで成功する時代。その参考書にもなりうる本だ。ぼくはそんなつもりで読んだわけじゃない。でも、結果的に仕事で役立ったのも事実である。
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悲しき熱帯
レヴィ=ストロース
(中公クラシックス/2001年)
レヴィ=ストロースはぼくの人生を変えた。大学時代、この本を読む授業で単位を落とし留年したからだ(苦笑)。その後、『野生の思考』を読んで驚いた。寄せ集めで物をつくる「ブリコラージュ」という概念が、宮崎駿にそっくり当てはまったからだ。ぼくの思考の根底には今もレヴィ=ストロースがある。
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ノーマン・メイラー全集
ノーマン・メイラー
(新潮社/1969年)
漫画と小説ばかり読んでいたぼくが、ノンフィクションに向かうひとつのきっかけになったのがノーマン・メイラーだった。大学のとき全8巻の全集が出て話題になった。ノンフィクションノベル、あるいはニュージャーナリズム。そこには小説とは違うかっこよさがあった。時代が変わる。そんな予感がした。
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親善野球に来たスパイ
L・カウフマン他
(平凡社/1976年)
日米親善野球のため、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックを擁する大リーグ選抜チームが来日した1934年。選手の一人、モー・バーグがじつは日本の情勢を探りにきたスパイだった、という話を描いたのが『親善野球に来たスパイ』だ。事実は小説よりも奇なり。映画にしたいぐらいおもしろい本である。
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東京アンダーワールド
ロバート・ホワイティング
(角川書店/2000年)
戦後、六本木にレストランを開いた元進駐軍兵士ニック・ザペッティ。彼の店には政治家、ヤクザ、プロレスラー、スパイらが夜な夜な集まった。『東京アンダーグラウンド』は、マフィアのボスの視点から見た日本の裏面史だ。マーティン・スコセッシが映画化しようとしたが実現せず。観てみたかった。
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自動車絶望工場
鎌田慧
(講談社文庫/2011年)
ぼくが週刊誌記者をしていた頃、ノンフィクションの傑作が次々に登場した。鎌田慧が実際にトヨタの工場で季節工として働いた経験を書いた『自動車絶望工場』もそのひとつ。大宅賞の候補になったが、潜入ルポという取材方法が批判されて受賞できなかった。そんな馬鹿な、と腹が立ったのを覚えている。
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極限の民族
本多勝一
(朝日新聞社/1967年)
大学時代に読んでガーンと来た。朝日の記者だった本多勝一が書いた、カナダ・エスキモー、ニューギニア高地人、アラビア遊牧民のルポである。初めて自分の目を世界に向けさせてくれた大事な本。のちにご本人に会って衝撃を受けた。泥臭い記者をイメージしていたのに、かっこいい人だったのだ(笑)。
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昭和怪物伝
大宅壮一
(角川文庫/1973年)
週刊誌記者になり、“本当の話”を書くおもしろさを知った。もっと勉強したいと思い、様々なノンフィクションを読み漁った。中でも感心したのが大宅壮一の『昭和怪物伝』。ワンパターンに陥らず、描かれる人物像がすべて違っていた。地道に取材して深く掘り下げなければ、こういうものは書けない。
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日本の黒い霧
松本清張
(文春文庫/2004年)
松本清張に興味を持ったきっかけは、山田洋次監督、倍賞千恵子主演で映画化された『霧の旗』だったと思う。あまりのおもしろさにそれ以降、清張を読みまくった。『日本の黒い霧』は、戦後の重大事件の裏に隠された真相に迫るノンフィクション。同じ手法で書かれた『昭和史発掘』と合わせて傑作だ。
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売春 決定版・神崎レポート
神崎清
(現代史出版会/1974年)
『アサ芸』時代、先輩記者の栗原裕さんから「取材に行く前に、これを読んどけ」と何冊も課題図書を与えられた。『売春 決定版・神崎レポート』もそのひとつ。東北から売られてきた売春婦の子たちが両親に書いた手紙には心が痛んだ。現実から目を背けちゃいけない。それをぼくは栗さんから教わった。
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ものぐさ精神分析
岸田秀
(中公文庫/1982年)
人間は本能が壊れた動物であり、幻想の中で生きている──心理学者・岸田秀の理論にはすごく納得がいった。宮さんも『ものぐさ精神分析』を読んでいて、当時よく話をした。宮さんもぼくも「自分」のことを知りたかったのだろう。その興味関心は、のちに養老孟司さんの『唯脳論』へとつながっていく。
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精神と物質
立花隆/利根川進
(文藝春秋/1990年)
遺伝とは、生物とは何なのか。立花隆がノーベル賞を受賞した利根川進にインタビューしたのが『精神と物質』。難しくて理解できず、何度も挑戦した。立花さんが先端科学にこだわったのは、現代文明の次に来るものを考えていたからだろう。ぼくもそこに興味があり、ジブリで講演してもらったこともある。
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唯脳論
養老孟司
(ちくま学芸文庫/1998年)
心、言葉、文化、社会、すべては脳の産物。いまや我々は脳がつくった人工物と情報に取り囲まれ、「脳化社会」を生きている──養老孟司さんの『唯脳論』には説得力があった。その後、養老さんは宮崎駿と『虫眼とアニ眼』という対談集を出した。養老さんには、会う人を元気にする不思議な力がある。
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青春の終焉
三浦雅士
(講談社/2001年)
「青春」の発明者はマルクスとドストエフスキーだった──三浦雅士は大胆に推論する。「若者が世界を変える」という思想のマルクス、若者特有の苦悩を描いたドストエフスキー。学生のとき、時代は政治の季節だった。激動の時代に本を読み、青春に翻弄された。ぼくのなかで青春はまだくすぶっている。
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子守り唄の誕生
赤坂憲雄
(講談社学芸文庫/2006年)
熊本県の五木村には、奉公娘たちが自らの境遇を歎いた子守り唄が伝わる。それをもとに映画をつくれないかと考えたのが高畑さん。その企画の参考書となったのが、赤坂憲雄の『子守り唄の誕生』だった。映画は実現しなかったが、その後、赤坂さんは『ゴジラとナウシカ』『ナウシカ考』を書くことになる。
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近代の擁護
山崎正和
(PHP研究所/1994年)
近代合理主義の矛盾がいろいろな面で明らかになってきた20世紀末。「近代」を否定し、古来の民族文化に帰れと主張する人々が出てきた。しかし、山崎正和は民族主義も近代になってつくられたイデオロギーだと指摘。近代を擁護した。加藤周一の次にぼくが信頼し、読み込んだ評論家が山崎正和だった。
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忠臣藏とは何か
丸谷才一
(講談社/1984年)
何を隠そう、ぼくは忠臣蔵オタクだ。映画だけで30〜40本見ている。興味があるのは実録物。四十七士は本当に火事装束だったのか? なぜ主君の仇を討たなければいけなかったのか? リアルな忠臣蔵を教えてくれるのが、丸谷才一の『忠臣藏とは何か』。丸谷才一の古典評論三部作はどれも傑作である。
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禅と日本文化
鈴木大拙
(岩波新書/1940年)
大学時代、日吉の本屋でたまたま出会ったのが鈴木大拙の『禅と日本文化』。以来、禅に興味を持ってきた。中高が仏教校だったせいか寺に興味があり、当時はよく鎌倉へ通った。とくに惹かれたのが東慶寺。後に鈴木大拙ゆかりの寺であることを知る。いまでは堀田善衞さんもそこに眠る。不思議な縁である。
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著作権史話
倉田喜弘
(千人社/1980年)
日本に著作権という概念がもたらされたのは明治時代。それまで出版も芝居も自由にやっていたのだが、著作権を保護する国際条約に加盟するかどうかで帝国議会は大紛糾……『著作権史話』にはそんな逸話が紹介されている。硬い本ではなく、おもしろい歴史読み物だ。これをもとに映画がつくれると思った。
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老いてゆくアジア
大泉啓一郎
(中公新書/2007年)
日本だけの問題かと思っていたら、じつはアジア全体で少子高齢化が進んでいる。そんな衝撃の事実を伝えるのが『老いてゆくアジア』だ。経済成長と医学の発達で寿命が延びるなか、社会保障制度がない国も多い。著者の大泉啓一郎さんとは何度かお目にかかり、アジアの実状をいろいろと教えていただいた。
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イギリスと日本ー その教育と経済 ー
森嶋通夫
(岩波新書/1977年)
日英の文化を比較した本は多いが、中でも印象深いのが森嶋通夫の『イギリスと日本』。イギリス人はアマチュア精神を大事にする。ラグビー選手の多くは仕事をしながらプレーし、作家も専業ではなく別に本業がある人が多い。あえて「プロ」にならない。そういう生き方に感心し、うらやましくも思った。
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人口減少社会という希望
広井良典
(朝日選書/2013年)
ついに人口が減少に転じた日本。悲観的な予測が多いが、人口が減るのはそんなに悪いことなのだろうか? 疑問に思ったぼくは『人口減少社会という希望』を開いた。そこには地域で経済をまわす新しい試みが紹介されていた。官僚を辞めて地方でがんばる若者もいる。未来への希望も着実に育っているのだ。
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嫌われた監督
鈴木忠平
(文藝春秋/2021年)
『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を書いた鈴木忠平さんと対談することになり、ぼくは困ってしまった。当時の試合内容をほとんど覚えていないからだ。対談前に本を読み返して驚いた。本の内容も忘れていたから、すごく新鮮におもしろく読めたのだ。喜ぶべきか悲しむべきか(苦笑)。
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ふしぎなキリスト教
橋爪大三郎 大澤真幸
(講談社現代新書/2011年)
子どもの頃、近所の教会の建物に興味を持った。中学時代には映画『ポリアンナ』でキリスト教の持つ力に驚いた。博愛を説きながら、十字軍で残酷なこともした。この宗教をあらためて知りたいと思って読んだのが『ふしぎなキリスト教』だった。結論は出ない。でも、いつかじっくり考えたいと思っている。
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民族という名の宗教
なだいなだ
(岩波新書/1992年)
大戦中、ヒトラーはゲルマン民族の優秀性をアピールし、日本は大和民族なんてことを言いだした。「民族」というのは国家が人々をまとめるためにつくりだしたフィクション。ときに対立や戦争も引き起こす。それを対話形式でわかりやすく教えてくれたのが、なだいなだの『民族という名の宗教』だった。
我々はどこへ行くのか 文学の可能性
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花影
大岡昇平
(講談社文芸文庫/2006年)
銀座の女給の葉子は、学者に始まり、弁護士、テレビマン、実業家と次から次へと関係を結び、つぎつぎ捨てられる。しかも、父のように慕っている骨董鑑定家は、彼女がロクでもない男たちに弄(もてあそ)ばれる様子を傍観するのみ。この男がもっともロクでもない。しかし、ぼくは何故か彼らにとても共感していた。
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方丈記私記
堀田善衞
(ちくま文庫/1988年)
宮崎駿もぼくも昔から堀田善衞さんのファン。でも、二人の読み方はまったく違う。宮さんは『方丈記私記』を読み、平安末期の風景を妄想するのを楽しむ。ぼくは鴨長明に関心を持った。立身出世を望みながら果たせず、悶々とする。そういう人間くさい人が悟りの境地のような文章を書いたのが興味深い。
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性的人間
大江健三郎
(新潮文庫/1968年)
団塊の世代にとって大江健三郎という作家の存在は大きい。彼と江藤淳が編纂した『われらの文学』全22巻は大学生の必読書だった。本人の小説では「死者の奢り」「飼育」など初期の短編が好みだ。「セヴンティーン」(『性的人間』に所収)で、主人公の少年が自慰する場面は今も頭にこびりついている。
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十九歳の地図
中上健次
(河出文庫/1981年)
紀伊半島を舞台に独自の土着的な世界を描いた中上健次。76年、戦後生まれで初めて芥川賞を獲り、時代の寵児となった。『青春の殺人者』(原作『蛇淫』)、『赫い髪の女』(原作『赫髪』)、『十九歳の地図』など映画化された作品も多い。当時は彼を読んでいないと話にならないという雰囲気があった。
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死の棘
島尾敏雄
(新潮文庫/1981年)
島尾敏雄と島尾ミホ。特攻隊の隊長と加計呂麻島の村長の娘。純愛で結ばれた二人だが、東京で暮らすうちに歯車が狂いだす。敏雄の浮気を知ったミホは夫を責め続け、心を病んでしまう。夫婦の葛藤を敏雄の側から描いた小説が『死の棘』だ。読んでいて本当につらくなるが、どうにも気になる本だった。
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海辺の生と死
島尾ミホ
(中公文庫/1987年)
錯乱状態から回復し、奄美に戻ったミホは作家となる。加計呂麻島での思い出や敏雄との出会いを描いた小説が『海辺の生と死』だ。吉本隆明が評したように、ミホが「聖」の人だとすれば、敏雄は「俗」の人。同じ出来事を書いているのにまったく異なる。ぼくはその両方を合わせて一本の映画にしたかった。
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ジャッカルの日
フレデリック・フォーサイス
(角川文庫/1979年)
スパイ物を中心に次々とベストセラーを出したフォーサイス。海外の作家はそれほど読まかったぼくだが、フォーサイスだけは例外。片っ端から読みまくった。一番印象に残っているのは映画にもなった『ジャッカルの日』。監督は『真昼の決闘』のフレッド・ジンネマン。じつにスタイリッシュな映画だった。
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母なる自然のおっぱい
池澤夏樹
(新潮社/1992年)
池澤さんの本を読むと、ぼくはいつもホッとする。実際にお会いして、ますますそう感じるようになった。たぶん根っこにあるものが共通しているのだろう。たとえば、池澤さんもぼくもレヴィ=ストロースの影響を受けている。『母なる自然のおっぱい』には、そんな池澤さんの思考の原点が詰まっている。
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教団X
中村文則
(集英社/2014年)
読書の中心が評論に移り、もう若い作家の小説は読まないかなと思っていた。けれど、友人から薦められて読んだ『教団X』は想定外だった。登場人物の中にはぼくに似ているやつもいて、新しい自分を発見。作者の中村文則さんを招いて、ラジオで座談会も開いた。彼とはその後も付き合いが続いている。
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何者
朝井リョウ
(新潮社/2012年)
朝井リョウさんとは東宝を通じて知り合い、話してみると気が合った。「世代が違っても、考え方が同じ人っているんですね」と彼からも言われた(ぼくと彼とは40歳も離れているのだ)。就活する大学生を描いた『何者』は、小説も映画もおもしろい。これが現代か、大変だなと素直に思った。